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欺瞞飛行

giman hikou ――本やゲーム、その他よくわからないブログ

藤田達生『秀吉と海賊大名』 戦国末期瀬戸内海のパワーゲーム

歴史

なんかの拍子でAmazonのおすすめに出てきた藤田達生『秀吉と海賊大名』(中公新書)をぽちって読む。

秀吉と海賊大名 - 海から見た戦国終焉 (中公新書)

秀吉と海賊大名 - 海から見た戦国終焉 (中公新書)


瀬戸内海の村上氏を始めとした戦国海賊たちの動向を追い、さらにその主筋の河野家・毛利家、これと対立する長宗我部家、そして足利将軍家、織田家、豊臣家などがからむ戦国末期~近世初期の近畿・中国・四国情勢を描いた本である(この時代の海賊というと東アジア全体で活躍した倭寇も思い起こされるが、本書では倭寇にはほとんど触れられていなかった)。

戦国時代の海賊とは?

戦国の海賊は、“賊”という漢字は使われているものの略奪を繰り返すならず者集団というわけではなく、きちんとした理屈と秩序を持って動いていた。
活動としては、

  • 航路上重要な港や水路を支配して「海の関所」(海関)を設け、港を利用したり水路を通行する船舶から税を徴収する(そして通行の安全を保証する=払わないと安全は保証しない)。
  • 水軍として軍事行動に従事する。

ということで、このあたりは陸の武士勢力とやっていることはあまり変わらないので、海賊といってもどちらかというと「海を活動領域とする武士団」といったほうが近いようである。

この本には見た目についての言及は特になかったけど、「忍たま乱太郎」に出てくる兵庫第三共栄丸さんのイメージでよいのだろうか(泳げないということはないだろうけど)。

瀬戸内の代表的海賊「村上氏」

本書で主にとりあげられているの瀬戸内海の海賊たち。
特に有名なのは村上氏。村上氏には有力な三つの家があり、それぞれ本拠にした島にちなみ来島村上氏、因島村上氏、能島村上氏と呼ばれる。

村上三氏の本拠島

上の地図に見えるように、瀬戸内海には多数の島々があり、海路も非常に入り組んでいる。
彼らはこれら航路の重要拠点に城を築き(海城)、海を監視し支配していた。

海賊衆の棟梁「河野家」

村上氏を始めとした海賊たちが主君と仰いでいたのは、伊予(愛媛県)の河野家だという。河野家は、伊予の名族で、守護大名として伊予の大部分を支配していた。
さらに海賊を通じて伊予から瀬戸内海広域に影響力を持っていたという。

河野家といえばゲームの「信長の野望」なんかでは毛利か長曾我部に速攻で倒される弱小大名だが、実際はなかなか強力な勢力を築いていたようである。

のちに中国地方で大勢力となった毛利家と縁戚関係となり、次第に毛利家中の一勢力として取り込まれていく。

 

「安土幕府」と「鞆幕府」の二重公儀体制

戦国末期の瀬戸内の海賊の動向に大きな影響をおよぼしたのが、織田信長の勢力伸長である。

1573年、織田信長は奉じていた室町幕府15代将軍足利義昭を京都から追放し、畿内での政権を確立する。
さらに1575年には、「武家の棟梁」として歴代足利将軍が任官されていた右近衛大将に任じられ、全国の大名に停戦命令や官位授与の書状を出したりしていて、もはや全国政権的な性格も帯びるようになった。著者はこれを「安土幕府」と呼んでいる。

畿内を抑えた織田家は羽柴秀吉に西国攻略を命じ、秀吉は中国地方へ攻勢をかけていく。海賊衆にも盛んに調略を行い、来島村上氏などは早くから織田家になびくようになる。

一方で、京から追い出された将軍の足利義昭は、毛利家の庇護下で瀬戸内の重要港である鞆の浦亡命政権をつくり、「鞆幕府」と呼ばれる体制を構築していた。

京を追い落とされたとはいえ、足利義昭征夷大将軍の地位を保持していたし、織田家の勢力が及ばない地方ではいまだに将軍が権威は高く、義昭は各大名から進物を受けたり、各大名に書状を送って信長包囲網を画策したりした。
瀬戸内の海賊衆たちはこれを支援して、水軍として警固に回ったり、あるいは対織田家の軍事行動に参加した(織田水軍に大勝した木津川合戦、織田水軍の鉄甲船に大敗した第二次木津川合戦など)。

著者は、この安土幕府と鞆幕府で二人の「武家の棟梁」が並び立つ状況を「二重公儀体制」と呼称している。

一般的には、「1573年、足利義昭が追放されて室町幕府は滅亡した」となっているが、そんな単純な話でもないようだ。

羽柴秀吉明智光秀の主導権争い

この二重公儀体制も、織田家がさらに勢力を伸ばしていったことにより崩壊する(決定的になるのが1580年の石山本願寺陥落)。

ただ織田家中も一枚岩ではなかったらしく、近畿一円を任されていた明智光秀と、中国攻略を任されていた羽柴秀吉の間で、西国に対する次のような戦略方針の相違があったという。

  • 明智光秀の構想【明智―長曾我部ライン】 …四国を長曾我部元親と連携して平定し、さらに毛利家と和睦を進めて中国地方を織田体制に取り込む。
  • 羽柴秀吉の構想【羽柴―三好ライン】 …四国は阿波の三好康長と連携して長曾我部家らに対抗し、中国は毛利家から離反した宇喜多家と結んで毛利家を攻撃する

毛利家と宇喜多家、長宗我部家と三好家は互いに敵対していて、織田家としてどちらに肩入れするかを決めれば、もう片方は没落する可能性が高い。

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もし織田信長の戦略方針が明智-長宗我部ラインに決定した場合、毛利や長宗我部と敵対する宇喜多・三好を見捨てることになり、秀吉は面目丸つぶれである。
実際、信長がそちらに傾きつつあった時期があったようで、毛利軍と対峙する秀吉の頭越しで毛利家と停戦交渉をしようとしており、秀吉の政治生命は窮地に立たされていたという。

しかし、秀吉が毛利家を積極的に攻撃しつつ、さらに三好家と縁戚関係を結んで四国でも攻勢に出、信長へ政策変更を強烈に働きかけつづけたおかげで、最終的には羽柴―三好ラインの採用が決定するのである。

この時点で、明智光秀のもくろみは瓦解し、織田家臣の主導権争いは秀吉の勝利に終わる。これが明智光秀本能寺の変を起こす原因の一つとなったとも言われる。

海賊時代の終わり

戦国が終わりに近づく中で、海賊たちどうなっていったかというと、1588年に秀吉によって「海賊停止令」が出され、それまでのような海での独自活動がしだいに制限された。これによって海の武士たちはその特徴を失い、普通の武家化する、もしくは衰退していく。
ただ、1592年から文禄・慶長の役(朝鮮侵攻)が起こると、海戦のエキスパートとして海賊出身者のニーズが高まったため、村上家などは多くの家臣が出奔して各大名に仕官し、戦後もそのまま各家の家臣団の一員となった者も多いという。

巻末では、能島村上家の個々の家臣たちが戦国の終わりとともにどうなったかを、史料をもとにリスト化している。「○兵衛が逃げて■■家に入った」などが詳細に書いてあり、なかなかおもしろい。

    • -

本書は、戦国海賊たちの具体的活動や動向をメインメインにしつつ、主に戦国末期の西国全体を海から見た構図の中で話が進み、毛利・河野・長宗我部・織田など各大名のパワーバランスの移り変わりが詳細に記されている。
僕は西日本にはほとんど行ったことがなく、知っている海といえば日本海と太平洋だけなので、瀬戸内海のような「内海」の世界の感覚はよくわからないのだが、西日本に住んでいて瀬戸内海の文化圏が身近な人だと、こういった海賊や海上権力の話は肌感覚でわかるのだろうと思う。

また、織田と足利の二重公儀体制や秀吉と光秀の出世争いの話などは、海賊よりもむしろこちらのほうが興味深かった。この辺りは著者の旧著『信長革命「安土幕府」の衝撃』でメインで書いているそうであるので、読もうと思う(一応ぽちった)。

信長革命 「安土幕府」の衝撃 (角川選書)

信長革命 「安土幕府」の衝撃 (角川選書)