欺瞞飛行

giman hikou ――本やゲーム、その他よくわからないブログ

スポーツ興行でルールより優先されるもの

白鵬批判批判はズレている

白鵬が千秋楽の大一番で「立会い変化」で勝利したために受けた批判に対し、白鵬を批判するのはおかしい、という意見が出てきます。

www.murasakai.net
watto.hatenablog.com

簡単にいうと「スポーツの目的は勝つことであり、勝つために正しいルールの範疇でやったことを批判されるのはおかしい」ということでしょう。

ルールの公平性と明文化されたルールの尊重こそが、相撲に限らずスポーツの隆盛を支える基本ではないか
http://watto.hatenablog.com/entry/2016/03/28/143551

ぐうの音も出ない正論であります。ですがこの問題に限っていえばズレていると思います。*1

「スポーツはルールを守って勝つのが目的だ」というのは確かに正論なのですが、スポーツ興行では勝つ以外にも目的があるのです。

松井秀喜連続敬遠」と何が違うか

今回の議論を見て思い出したのは、1992年夏の甲子園松井連続敬遠事件です。

松井秀喜5打席連続敬遠 - Wikipedia

甲子園2回戦、星陵高校対明徳義塾高校の試合で、星陵の怪物バッターである松井秀喜を明徳は全打席敬遠し、松井が一度もバットを振らないまま星陵が敗退しました。
当然、松井の活躍を楽しみにしていたのにつまらない試合を見せられた観客は激怒し、「卑怯だ」「正々堂々と勝負しろ」「高校野球精神にもとる」などと監督や高校への批判を向けました。

これに対して、当時も今回と同じように反論がありました。
勝つためにルールどおりの行動をしてなにが悪い。球児や監督はお前ら観客のためじゃなくて自分のために試合してるんだと。
松井連続敬遠批判に対するこのカウンターは正しいと思います。「高校野球精神」云々にいたっては自分がつまらない試合を見せられた鬱憤を高尚なものに付託させているだけの言いがかりであり、バカバカしいとすら思います。

それは甲子園が興行ではなく競技会であり、選手たちは観戦料でご飯を食べているプロではなく、高校生だからです。観客に見せるために甲子園で試合をしているのではなく、高校生日本一を決める大会で競技をしているだけなのです。


ルールよりも優先されるもの

ですが今回の白鵬は違います。
大相撲は興行であり、白鵬はプロです。プロである以上、選手(力士)は、観客が求めるものを提供しなければいけません。究極的には「勝つ」よりも「相撲を見せることで観客を楽しませる」ことが目的です。選手のなかには、あくまで勝つためや、自分を高めたり頂点の栄誉を得るためにやっている人も多いでしょうが、多くの場合それが結果的に観客を楽しませていることになっているだけで、職業としての使命は別です。


興行スポーツの原理はすべて同じです。

たとえばボクシングや総合格闘技の観客は「どちらが強いかの真剣勝負」を求めているからプロはそれを提供します。
一方でプロレスの観客は「ガチ試合」ではなく「ドラマ性」を求めているからプロはそれを提供します(プロレスあまり知らないので違ってたらごめんなさい)。

相撲も同じです。「ルールどおりのガチな勝負を見たい」一方で「大一番では横綱が変化なしで全力でぶつかり合うのを見たい」と多くの観客が思っているのなら、プロとしてそれに応えるのは当然でしょう。

言うまでもないことだが

「明文化されたルール」>>「不文律」

でなければならない。

http://watto.hatenablog.com/entry/2016/03/28/143551

スポーツ大会であればそのとおりだと思いますが、興行においてはそうではありません。プロがルールを守るのも、真剣勝負をするのも、観客を楽しませるという目的のためです。

興行では、不等号は「不文律」の内容によって変わります。その場の観客が盛り上がるための不文律ならば明文化されたルールより優先適用され、それが許容される可能性があります。裏取引や自主規制のような客が冷める不文律は駄目でしょう。

たとえばプロレスの悪役レスラーが長いすで殴ったり毒霧を吐いたりするのは明文化されたルールでは反則でしょうが、盛り上がるので許容されています。

プロレスと大相撲はだいぶ違いますが、上で書いたように原理は同じで、観客を楽しませるための最適な“ルール:不文律”の比率が違うだけなのです。

例えばオリンピックやボクシング等で最適な“ルール:不文律”比は 10:0でしょう。公正なルールで世界一を決めるということが価値になっています。

プロレスの最適“ルール:不文律”比は1:9くらいでしょうか?

そして相撲の場合、お客が求める比率は10:0ではなく9.5:0.5というような感じだったということでしょう。

もちろんなにを求めるかは個人個人の自由なので、あくまで公正さを求める客がいるのも当たり前です。

一般論ではなく「好き嫌い」を語るべき

あとは数の問題になります。不文律に縛られた横綱相撲よりも、一瞬で終わってもいいから変化の駆け引きがある勝負を見たいという観客が多ければ、相撲のあり方も変わり、不文律もなくなるかもしれません。ですが今回はそうではなかったので批判が噴出しました。

興行において、観客が「自分の求めたものと違う」と批判をするのは正しい姿勢です。それに興行側が応えることで人気が出、隆盛につながっていくからです(必ず応えなければならないという話ではないです。念のため)。

だから観客からの白鵬批判に対して、一般論・原則論として「スポーツは勝つのが目的だ。ルールの範疇で変化をやってなにが悪い」というのは的外れなのです。

もしあなたが大相撲に変わってほしいと願うならば、
「私はルール以外に変な縛りのある相撲は嫌い」
「アタイは横綱が真正面からぶつかる相撲が好き」
などと、
主語を「一般論」ではなく「自分」にし、「正しい/正しくない」ではなく「好き/嫌い」で語る
ことが必要だと思います。




ちなみに今回の件は野球やサッカーなどの他のスポーツでたとえられていますが、もし他でたとえるなら、スポーツとは別の分野がわかりやすいかもしれません。

国民栄誉賞を取った女優が落ち目になったのでポルノ作品に出た」(しかもそれで再ブレイクした)
「カンヌで賞を取った映画監督が満を持して公開した次作がジャニタレアイドル満載の糞映画だった」(しかもそれが大ヒットした)

そりゃあルール(法律)には反してないし勝つ(売れる)ためにはなにをしても自由だけど、そら批判もおこるわなぁ……と。

*1:ちなみに「モンゴル人だから~」とか言うようなナショナリズム方面に向かう意見への警鐘については全面同意